遠くて、近くて、美しい

遠いつもりで近いのが福島原発放射能
遠いつもりで近いのが男女の仲
遠いつもりで近いのが年寄りのしょんべん
近いつもりで遠いのが田舎の道
近いつもりで遠いのが不動産屋の駅から10分
美人のつもりでブスなのが車内化粧する女
美しいつもりで汚いのが美人の下着
柔らかいつもりで硬いのがバカの壁
幸せのつもりで不幸なのが阿呆にやる智恵
幸せのつもりで不幸なのが貧乏人にやる大金

犬と孫

群馬の現場で飼い始めた犬、生後3カ月だった昨年4月に友人から貰いうけたものです。甲斐犬に血が半分あとはシェパードだか洋犬の血の混血。人懐っこいが山に入ったとたん目つき・顔つき・動作が急に機敏となり本能的に猟犬に向いている。鼻先が黒いから名前はクロ。今年の正月に孫達に見せるため小屋ごと運搬しました。近所の公園に連れて行き犬も孫達も大喜び。
小学4年の孫ありさは、犬が私に飛びつきじゃれて嬉しそうなしぐさを見て不思議そうに「じいちゃんの性格は人間に嫌われて人が懐かないのに、どうしてクロがあんなに懐くの?」だって。
私「ウㇺㇺㇺㇺ・・・・。クロは人間より利口だからじゃ。」と言ってやった。つでに「じいちゃんの性格の悪いのは、生まれたのは芸者と車引きの間に生まれお寺に捨てられたから性格がいいはずがないのじゃ。」と。
孫「芸者ってどんな人?」「車引きって車引っ張って何する人?」
私「ウㇺㇺㇺㇺ・・・・。芸者は少し厚くお化粧したスナックのお姉さん。車引きはタクシーの運転手さんやってる人と考えればいい。」
孫はあいまいな返事をしてクロに近づき「そういうことだってさ。」と。
冬の日の公園での風景でした。

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正月のクロ  東京で

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4月のクロ   群馬で

ショーバイ ショーバイ

バブル当時の昔話
ある地方の同業者の話。新幹線の駅から歩いて行ける山林を数千坪所有していた。当時ゼネコン大手・マンション業者らは血眼になって土地を買い漁り地価もウナギ昇りだった。今となっては夢のようだった。
この業者所有の山林に2億円とか3億円とかの買手が2社あった。手付金5000万円をすぐ払って契約したいとか。どちらか迷っていたところ倍ぐらいの価格をつけた大手ゼネコンが出現。これにこの社長さんぐらぐら心が動き2社を断ってしまった。この大手ゼネコンは一向に手付金を支払う様子がなかったが、社長はゼネコンが買うのは間違いないと言い続け、そのうちバブルが崩壊してしまった。元も子もなくなってこの山林は今でもそのまま。借金も払えなくなり彼の会社は休業状態だ。虻蜂取らずとらずとはこのことだ。

 

思い出した寓話
骨を咥えた犬が水を飲もうと川へ行き水面に写った自分の姿を見てもう一つ別の骨があると口を開いて水面に写った骨に噛みつこうとワンと吠えたら咥えていた骨も水に落ちて流されてしまった。
 
つづいて犬の話
家の中で犬を飼っている大の犬好きの奥様が喘息になった。家族の一員なので我慢。自分の命、健康、いずれ選択する時が来る。
無足多足は家に上げるなと祖父から言われたことがある私ではあるが動物は嫌いではない。しかし死という悲しさがあるのでその悲しむことへの恐怖心から動物を飼わない。自分より長生きする鶴や亀が私の枕元に来て「おじいさんそろそろ別れだなあ。安心して天国に行ってくれ。」とほっぺたや耳などをつつかれ手などに柔らかく噛みつかれながら死にたいなあ!!

新潟の旅

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高速道路より越後駒ヶ岳を望む

 

3月 新潟の祭り動と静。
そのⅠ[動] 日本三大奇祭 浦佐毘沙門堂の『裸押合い祭り』

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3月3日夜6時が開始。毘沙門堂内は大きなロウソクをかかえたさらしを巻いた若者達が4~5列に並び行進、うがい鉢という真水の池に入り身体を清めます。氷点下の中5人一組で並び中学生・青年・壮年の順で各100人から150人の一団がこの池に入り念仏を唱えるのが20秒ぐらい。中には寒くて躊躇している中学生もいる。池の番人は池の上から大ロウソクを持ってどなりつけるとこの中学生も決心して池に飛び込むのです。観衆は大笑い。池を出ると駆け足で堂内に飛び込み、徐々にその数が増えるとご本尊を守る内陣が「サンヨ、サンヨ」と掛声を。まわりからも「サンヨ、サンヨ」と声が掛かる。大きな声が響き出す。やがて「まくぞ、まくぞ」と掛声が変わると「まけよ、まけよ」と呼応する。しばしのやり取りが続いた後、内陣が頭上に福物・もちなどを投げるとそれを求めて何本もの手が伸び激しく奪い合う。裸同士が激しくこすり合される寒さもなんのその。その熱気は観衆も飲み込む程でした。これが夜11時頃まで続く。祭りの当事者・観衆、町中一体の感じでした。

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堂内(内陣)で福物やもちを取り合う人達。なかなか中に入ることが出来ないでいた。

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そのⅡ[静] 村上市『町屋の人形さま巡り』

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御存知皇太子妃雅子様の御実家の町又は鮭と温泉の町の村上市の、伝統の町造りの各商店が飾る豪華な段飾りのおひな様を歩いて見て回るお祭りで、3月1日から4月3日までの長いお祭り。郵便局や各商店が表の通りから見えるとこに飾ってあるおひな様はお店の中に入っても各商店の人達が丁寧に説明してくてたり、奥の部屋に通してくれて説明までしてくれる。昔の暮らし・昔からの家具、それも無料で・・・。
駅前の観光案内所でお祭りの概要を聞き案内図を頂き、車とトイレは市役所でとの御指示でパーキング。あとはのんびりと徒歩で見て回ることになりました。ぞろぞろと観光客が居るわけでもなく、時々会う程度が丁度良い。途中の気のきいたレストランも少なめが丁度良い。半日から一日たっぷり見て回れるし、鮭の町村上の象徴『イヨボヤ会館』のサケの博物館の見学、鮭料理のレストランもあります。風情があって静かな落ち着いた町並みも屋根の向きが統一されているせいか品の良いたたずまいです。また、歩き疲れたらうれしいシャトルバスも利用したい。健脚向きのレンタサイクルも利用するといいのです。上品で静かな町の静かなお祭りでした。

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おくれてきた春  片品村

ようやくおとずれた春らしき気候の雪国ですが、3月下旬から4月上旬にはまだまだ雪がいっぱいです。半月から20日ぐらい雪解けが遅れているのは全国的のようです。蕗の薹もまだまだで少しだけみつかる程度です。急に春らしい気温になったり、又、一気に真冬のような寒さに戻ることもあります。それも一日のうちに春の暖かさとなったと思うと、冬のねじり切れるような寒さが夕方にじわぁーと訪れるのです。「温泉に入って早く別荘に戻って晩酌だぁー。」と別荘住人。
ただ確実に春は来ていて、小鳥の鳴き声も多くなり草木の芽が少しづつ膨らんで木立の根元の黒さが日一日と大きくなります。町の商店の靴屋さんが大声を出し長靴・ブーツを売る世界から、スポーツシューズ・ハイヒールへと季節の変化も人間の世界も変化です。

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花咲温泉郷より日光白根山を望む。まだまだ春は遠い“4月”

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当社の雪上車とクロ

相続問題は人間関係を壊す

商売柄相続問題には時々ぶつかります。そのⅠは社員の相続の問題。そのⅡはご近所の相続問題。ほんとうに身近にある問題です。

そのⅠ 社員S君の奥さんの相続問題
社員S君の奥さんをA子さんとしましょう。A子さんの母親が調布駅前のマンション(時価3,000万円)に一人で暮らしていました。A子さんは姉2人妹1人の4人姉妹です。お母さんも高齢で弱って来ているので東京に住んでいるA子さんと妹が面倒を見ることになりました。2人の姉は札幌と静岡に暮らしています。A子さんと妹は時々調布のマンションを訪れ介護をしたり泊まったりしていました。4人の娘達の間では、母親の面倒をみた2人がそのマンションをもらうという口約束がありました。
その時、A子さんの夫の我社の社員S君は妻のA子さんに忠告しました。相続については念のため公正証書にしておくべきだと。A子さん答えは「とんでもない!私達4人は今まで喧嘩をしたこともなく仲良くやってきた。公正証書などという話を持ち出したら、それこそ仲が悪くなってしまう。」というものでした。S君はそれ以上は忠告せず1年後に義母は亡くなった。
ところが北海道の長女が、乱暴に言うと、母が死ぬのが早すぎて面倒を見た期間とその介護料はマンションの価格に見合わない、つまりおつりがあるはずだからマンションは4人で分けるべきではないかと言い出した。静岡の次女もこれに同調し姉2人と妹2人のバトルになり結局4人で分けることになり決着した。しかし2人づつの姉妹としての付合いは絶たれ、その1年後に長女がガンで亡くなったが妹2人は葬式にも行かなかった。
 
そのⅡ 御近所の相続問題
地元民のAさんは7人兄弟。40年前に両親が亡くなった時に財産分けをしたが、坪70万円ほどする古屋つきの40坪の土地はすでに死亡した次男の内縁の妻が住んでいたためこの土地は6人の共有名義となっていた。兄弟たちは、土地をもらい自分のお金で家を建てた人や土地建物を親からもらった人などいろいろで、それぞれ地続きで所有し中には入口のないまま兄弟の土地を自由に通行して建物を使っている人もいる。当時はまだ家督相続のしきたりが残っており長男が不動産・ビル・商店・自宅などの土地をほとんど相続し、その他の兄弟は自宅の土地建物と長男が一人につき60万円づつ6人に合計360万円を支払って一応相続は大きな問題もなく済んだ(昭和45年頃)。この時本件土地に隣接する約400坪の土地は長女・長男の貰い分としてきちんと登記しましたが、他は全部持分登記と考えていい。
20数年経ち次男の内縁の女性も年をとり施設に入所して空家となり、平成22年にあらためてこの土地と古屋を放置できないと長男が私に相談にきたのです。私は当然皆顔見知りの人達ですから作戦を立てる前に全員に相続を解決する意思の確認とそれぞれの言い分を聞いた。

長男 77歳の言い分
昭和40年代の相続時に他の兄弟に1人60万円づつ支払ったのは無理やり盗られたからである。自分の相続は昭和45年に済んで今回貰い分ないが他の6人より360万円多くもらいたい。

 

三男 既に死去、妻・長男・長女が相続。相続人である長男の言い分
自分の土地は現在駐車場がないので、土地を分割するときその分車の置けるスペースがあればよい。あとは皆が平等であればよい。

 

長女 夫共死亡 長男は妻・子供2人・次男・三男と同居
長男の言い分
自分達は40年前当時に全部相続はもらっていて済んでいるので、全員で話がつけばそれで同意する。
 
四男
この人は隣の市に住んでいて特に問題ないが、長男の60万円づつ360万をの話には断固反対。長男は当時も今も貰いすぎと思っている。
 
五男
入口道路が無いので分割して道路に接するようにしてもらいたい。その他売却のお金は平等に。

六男 妻が某宗教の女性幹部でとかく口出ししてくる。
自分は家と土地を当時もらったので皆が同意すれば自分も同意する。但し、今回相続の土地の40年分の税金270万円を支払っているのでその分は他の兄弟で分担して支払って欲しい。また、自分の所有する土地の入口の道路を所有していないのでこれを解決してもらいたい。
 
次女
隣接の市に住んでいて裕福な家に嫁いでいる。大工さんの妻。
相続当時に土地をもらっていてその土地に家を建てて娘夫婦を住まわせている。従って一族の地続きの土地の真ん中に娘さん夫婦は住んでいることになる。
この人は長男の360万円を多すぎると反対。当時多く貰いすぎた長男と思っているから60万円は当然と考えている。そして四男と仲が良い。またこの人は四男・五男の高校入学から卒業までの資金を出している。
以上が各々の言い分や状況でした。
問題点は長男の360万円の主張をどれだけ値切るか。
遺言状もないし、当時税理士の作った書類も正確ではない相続の分割方法のみ。現在の土地所有権も当時の税理士の考えだと皆さん言うが、共有名義や兄弟の土地のうえに自分の家が建っていたりしていわゆるアトランダムな状況でした。長男も当時は360万円の支払いを渋っていた。
そこで私の事務所が業務を終了する7時から全員で言いたいことを言い合う場所に提供し、私がレフリー役を務めることにした。大体夜の7時半に集合。毎週土曜日か日曜日に開催。夕方からのバトルでした。
第1回から波乱含み。長男は攻められっぱなしだがガンとして360万円は譲らない。○○家を守ってきたのだから当然と長男。四男は長男に対して、農業の跡継ぎをせず戦後勝手に東京でタクシーの運転手をしていたことを非難する。長男はタクシーの運転手時代に知り合った女性と結婚。東村山に戻り八百屋を開業。ビルを建てたりして経済的には問題なし。実はこの長男と私は最も仲が良いのです。 次女は高校生の下の兄弟達の経済的援助をしていたので長男以外は言うことをききそう。また、物分りも早い。
昔のことから一人づつそれぞれ言うわ言うわ、自分に都合の良いことを。面倒を見た話や、勝手に家を飛び出したと長男を攻撃する四男。
そのうち五男の妻がどうしても同席して言いたいことがあると言ってきかない。相続の問題は連れ合いが口を出すと感情的になってもめごとが大きくなるのが相場ですから止めたほうがいいと言ってもきかない。仕方がないので私が各兄弟にとりあえず話を聞くだけでいいから同席を認めて下さいとお願いする。
五男の妻は宗教団体の幹部ですから弁が立ち話は慣れている。一人でしゃべっている間に普段温厚で物分りの良い次女の姿は豹変。その目つきはこの女性幹部を射抜くような怨念のこもった親の仇にでも会ったような顔つきでにらみつけていた。やはりあの人は出すべきではなかった。
その後、計7回の開催の間に分割方法・価格・一人の取分・税金等具体的に数字を出して、最終的に我社がその土地を買い取ることになりようやく長男も360万円を売却した代金の取分から差し引くことで決着した。

老後のすごし方と上手な死に方

・認知症になる前に自殺する勇気を残しておくことは出来ないか
・貧乏人は早く死ね・・・・・現代の医療体制
・最近我社の56歳の社員がリンパ腫瘍で入院した。

義弟が胆のうにできたポリープを摘出するために入院したが、手術後の入院中に十二指腸潰瘍で急死。有名な赤坂の前田病院で。
先日その義弟の法事で妻の兄弟親戚が集まった。もう一人の義弟も胃ガンで入院しがっくり痩せて出席していた。その法要の席で病気と死に方について大いに湧いた。不謹慎だと思ったが酒も入っていたので盛り上がった。周囲に死と病気は日常的になっている。その席で周りをぐるっと見回し、自分は何番目に死ぬのかとひっそり思っていた。
楢山節考を思い出しながら山奥に一人で奥深く死に場所を選んで死ぬ勇気があるか。ないない、絶対に出来ない。エラそう死のことを言ったりするがやはり怖い。必ず一度は死ぬのだがやはり怖い。「坊主だって死にたくないし怖い。」と言っていた寺の住職もいたっけ。
認知症の人をみると、医学の発達で五体は大丈夫になっても脳の方は昔通りのままのようだ。医学がまだ脳だけは追いつかないのかもしれません。科学の進歩とやらで人間だけ長生きしていいのか。犬や猫も科学の進歩の御利益を受けさせなければ不公平ではないのか。
絶対安全の神話を作った原発関係者。福島を見てこのていたらく。情報は隠すは、自分達だけ安全にして。国・科学者・有名人・電力会社幹部、みんな信用出来ねえぞ。セシウム食ってみろ国会議員・まだらめ委員長・でたらめ委員長。そしたらわかるぞ福島の人達の心が。
こうなったら原発関係者全員戦犯で死刑を宣告されても仕方あるまい。そうでもなければ暗殺団でも作ってそれこそ本当のテロしかない。但し入団に制限あり。年齢80歳以上、家族と縁切りが出来る人。よぼよぼでは役に立たないのでピストルだけは撃てる人とか、見た目は老齢でも視力はメガネ付き1.5以上とか。
英雄になれるかも。

親の気持ち子知らず

家賃滞納したバツイチしたばかりの男性の行方がわからず保証人の年金暮らしの父親に連絡。父親は息子かわいさに代払いし無事落着。息子の言い分は、リストラにあっても親からの経済的援助がなかったのが離婚の原因。無職になったのだから親が支払うのが当然とのこと。これは賃貸新聞からのニュースですが、似たようなことが当社でも生じたことがありました。可愛いい息子だから援助は当然との考え方は、困った事の内容の見極めとその子の性質と知的レベルを考えて判断するしかないのでは・・・。
子供の病気は親の病気。一蓮托生で共に没落して貧乏になってゆくしかないのではないでしょうか。自分は苦労したので子供に苦労させたくない。だからなんでもその子の言うとおり小さいときからきいてやる。それが子供に対する愛情だと思っている親が少なからず存在する。しかし、子供の言うことを全てきいて子供がいやがることを全部親がやるとその子供は確実にダメ人間に育つ。人は苦労してこそ一人前になり並みの生活を保持する。家を持ち多少の貯金も年金も。だから子供には苦労をさせる。旅に出せ。ライオンの親子を見習おう。

平均年齢と認知症

群馬県の上毛新聞は広げても読むところが3分とないが、毎日死亡者欄がありこれだけは毎日見るという地元の人が多い。暇にまかせてある日の上毛新聞を読むと死亡者欄の平均年齢は80歳、中には17歳の高校生もいて不慮の事故か生まれた時からの虚弱体質なのかなあと親御さんの気持ちを思うと悲しい。自分の孫がもしそうだったらなどとも想像してしまう。
その新聞を読んだのは私の友人宅。彼は認知症の妻の母と暮らしているが、私に打ち明けてくれた話の内容は悲惨だった。
家の中のものは隠してしまう。自分のお金を暇さえあれば数えている。自分のお金を隠しただろうと私の友人に平気で言う。火の元も油断がならない。「婿のお前などに絶対に世話にならねえ。」(今、現に世話になっているくせに)。
彼の妻は実母を施設に入れるのはお金も掛かるし忍びないとのことで、夫にも我慢してもらい、もう少しひどくなったら入れようとのことでした。彼は測量という仕事柄お客様宅を回るときに認知の義母を同行させ、お客様に了解の上仕事をするのだそうです。じっと車の中で待っているそうですが、口答えやトイレなど我慢するのが大変で犬より始末が悪いとのこと。時々夫婦喧嘩にもなり、又、妻と義母との間のやりとりも時には激しいものになるそうです。妻が、弟には4千万円もくれてやり家も建ててあげたのに私にはゴミだけ置いて行ったと言い、遠いところに離れている弟に電話して「これから母を連れていくから。」ガチャン!!と電話を切るそうです。
先日も息子が父親を殺したニュースをテレビで知ったが、多分認知症の父親だったのだろう。我慢に我慢を重ねて耐えられなくなって逆上し殺したのだろう。その気持ちよくわかるよと私の友人が・・・

花咲だより

今年の冬は特に寒いが地元民の言う寒い冬は雪が少ないとのこと。今年もこれは当たっている。積雪は2月現在50㎝。例年では1mから1m50㎝、寒さは今年は-8℃から-11℃、例年は-1℃から-5℃。
先日うっかりして夜ガス湯沸かし器の水抜きを忘れたら一晩で凍結、アウトになりました。水がお湯となり通過する銅製の管が凍結、氷の力でぶっちぎれてしまったのでした。
特に寒い夜と朝は水道設備屋さんが忙しい。凍結により水がでない、お湯が出ない、ボイラーが故障したなど夜半から電話の呼び出しがしきりに鳴ります。
武尊山の裏側は水上、その裏は谷川岳。この地域、上越地方と山2つ隔てていますが雪の量と質が全く異なるのです。特にスキーヤーは御存知で上越は湿度が高いのでよく滑らないと不評。日本海からの湿った雪が日本の背骨の山脈にぶつかり湿った雪となり上越地方に落ち、その余った乾燥した雪がよく滑る雪となって群馬県のスキー場に降るのです。
先日昔とったきねづかで日光雲竜峡へ向かったが、入口のゲートから2時間半の徒歩は50年前と変わらないので昨年足の骨折をした私は迷った挙句中止した。せかくの休みをと思って122号線を湯西川温泉に行く。初めてだが山奥の奥という感じで雪もなく観光客も多そうだった。更に下り、会津の大内村古民家群へ。積雪1m。観光客がぞろぞろ沢山。一見の価値ありでした。このあと新潟方面へ抜ける道路情報を聞くと磐越道が高速道路は全て雪で通行止めとのこと。小出にもその間の諸都市にも抜けられないので新潟市経由で会津坂下ICから高速へ乗るがすぐ途中雪崩で通行止。2つインター先の安田ICまで一般道で行く。安田ICから高速でしたが長岡ICあたりから徐々に積雪量が増えて石打湯沢あたりは両側2m以上の雪壁でした。無事片品花咲にたどりついたのは9時でした。

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