正月はええもんだ

正月はええもんだ
木っ葉のような餅食って
雪のようなママ(ごはん)食べて
木片のような魚(とと)添えて
嫁ごに行くよなべべを着て
油のような酒飲んで
正月はええもんだ

 

昔から全国的に伝わるわらべ歌ですが、普段は質素な生活だが正月だけは楽しみなごちそうが食えるという訳です。盆と正月だけ白米を食べた昭和30年代まで地方では皆同様に子供達もお年玉を少しだけ貰って家族揃って集まり、大晦日には紅白歌合戦を見ながら除夜の鐘を聞き、近所のお寺や神社に初詣で気分も新たに新年を迎えなんとなく大人も一息入れる時でぼーっとしたとの記憶を思い出します。
今回も何の疑問もなく大晦日を迎え一番鶏が鳴けば否応なしに元旦を迎え年が越せる。年末など何処吹く風です。一年の締め括りをやり過ごしやれやれ今年も終わりかなぁと思っても少ししか感慨を感じず、明けて正月も特別に決心をするなど面倒だし、一年の計は元旦にありなどと頭のすみにはあるが酒でも飲めばたちまちどこかに吹飛びうだうだと正月が過ぎて行きました。
又々子供の頃の正月を思い出して『正月はええもんだ』と思い直してみる。質素な生活の往時は、双六などの早上がり御褒美はあめやみかん。羊羹・チョコレートなどは最上品でした。こたつに入り干柿や南京豆を食べながら双六のサイコロを振り、上りが近くなるとサイコロの出目を祈るようにころがしたものでした。みかんやチョコレートを狙って・・。中には上り近くの出目を狙ってサイコロをころがさずに置くように出目を狙うズルイお姉さんもいて、私の姉が「あの○○子ちゃんはいつもズルするんだから。」などとぼやいていたのを思い出します。
振り返れば年末のクリスマスケーキでキリストをアーメンし、元旦には神社仏閣をお参りし柏手を打ち無病息災を感謝したりお願いしたりする。苦しい時の神頼みで多神教・葬式仏教なんでもありです。無節操も甚だしい。一神教のアラブの回教徒の人達から見ればインド人、いや、アラブ人もびっくり!!です。アラブの諺に『敵は一回気を付けろ。味方はいつも気を付けろ。』というのがありますが、我々日本人には想像も出来ない過酷な自然風土があるのですね。こういうところに一神教が育つ風土があるのかもしれません。
乱立状態の政党も年末の選挙の結果賽は投げられてしまったのですから見守るしかありません。しかし何となく空しい気がして現政権の安倍晋三にはあまり期待はしていない。前回の自民党政権の終わりに一番貢献したのは彼だし、病名も分からずに体調不良のせいにして政権を放り出してしまったのですから。取り巻きも漢字の読めない麻生太郎君だろう?右翼的と呼ばれる強行発言の北朝鮮との拉致問題も何も解決できなかったのですから。それでも消去法で“だましの政党・うそつき政党の民主党”よりはマシだと今回政権を自民党に選んだ私達国民の責任は重大です。
戦争もないしやっと食って行けるし、こうして正月を迎えられ朝から酒を飲み、シリアやアフリカに比べれば平和はありがたいとしみじみ思う正月です。
正月はええもんだ。

商店街の変化と滅びゆく草原?

先日、近所のいきつけの床屋さんに行って帰ると、妻が「もう3,900円の処より、毛が少ないんだから1,000円の床屋へ行ったら?」と抜かすのです。二年程前にこの1,000円の床屋が私の行きつけの床屋の斜め前に出来たのです。数十年行きつけの店からは斜め前の床屋にいくら安いから毛がなくなったからと言ってなんだか裏切るように思われてその差額2900円にかえられない人間関係が存在するのです。毎日のように前を通り床屋さん夫婦とも日常挨拶をし、すれ違ったりするのでとても1000円の床屋に行く気になれない。
更にもう少し先に数か月前にもう一軒床屋さんが出来ました。これも1,000円という看板が出ていた。双方の床屋はチェーン店らしい。この通りの商店街は、寂びれてすたれて歯が抜けるように個人商店が消えていく。そしてシャッター通りと化してしまう。衣服、うなぎ屋、雑貨屋、水道修理屋、金物屋、ラーメン屋、和菓子屋、寿司屋、肉屋、魚屋、とここ十数年で消えてそのあとシャッターが閉じたままです。現在しぶとく残っているのは、居酒屋やスナックですがこのスナックもママさん昭和52年頃から始めて今でも頑張っている。若くて美しかったが今でもそれなりに魅力的なのが嬉しい。相当な努力をして美貌と店の営業を頑張っているのだろう。その他ふとん屋さんや煙草屋さんも洗濯屋さんも頑張っている。しかし、クリーニング屋さんと床屋さんは雨後の竹の子のように出店する。そして安いのです。受付だけでまとめて別の場所へ洗濯物を運んで一気にその日のうちに仕上げてくるので便利でいいが、汚れが落ちていなかったり、仕上げが拙いのも時々ある。従来からあるクリーニング屋さんはいつ辞めてしまうのかと心配している。大手チェーン店が利益率の高い小売業から手をだし今ではほとんどの小売業に進出しています。寂しくなった頭をなでながらよき昔の小売業での風景を思い出して懐かしがっている。小売業の店をたたんでしまった人は何処へ行ったのだろう。頭の毛が残っているうちは前からの床屋さんに通おうっと。

領土問題“尖閣諸島は誰のもの?”

日本の主張と中国の言い分
今回の領土問題の火付け役は石原慎太郎前都知事です。この問題は中国の鄧小平時代に双方後世に宿題として残しましょうと日中両国で合意したものでした。この問題の解決方法は3つしかありません。ひとつは戦争をして勝つこと。2つ目は鄧小平の提案通り双方触らない。3つ目は共同利用です。慎太郎はこれほどまで中国が本気で怒るとは予想しなかったのでしょう。日中の経済的損失は莫大です。そして彼は責任を取りません。いつもの人気取りだったのでしょう。目立ちたがり屋の彼は、東京オリンピックの開催など次々と目立つものを見つけては都知事という立場を利用して個人の人気を集める。しかし、今回中国と戦争する気持ちはあるはずもない。戦争すれば経済打撃は天文学的数字になるし多くの人間が死ぬ。強気に「一発かましたれ!!」などと無責任に言う極右の人達は多いが、本当の戦争になれば引くに引けなくなり2000万人を東南アジア・中国で殺し日本でも300万人の人間が死んだのは経験済みです。懲りない面々、他人事の戦争、自分の家族は死なない戦争は好きですね。勇ましい発言する政治家などは決まって家族を戦場になど行かせないし、逃げたりして責任を取りません。日露戦争当時、乃木将軍の息子が旅順で戦死したことと今の政治屋と比較してみればいい。
このことを逆手にとってヨーロッパのある政治家が提案したのは、“戦争を始めた内閣の総理大臣とトップ閣僚の子供達のうち、18歳以上の男子は全員が1週間以内に最前線に行くという法律”を作れというものでした。これならなるほど戦争はしないだろう。大体勇ましい戦争発言をする人は他人事なんだよね。戦争に負けた日本の指導者の中にはマッカーサー司令官に命乞いをした人もいると聞いたこともある。比較してみるのはロシアとの北方領土について慎太郎は発言したり船を近づけたりの実力行使はしたか。強い者にはダンマリ弱い者には威張るうだつの上がらない能無しの幹部社員をよく見かけるが、人気取りも極まれりですね。
この尖閣と韓国の竹島問題が生じたことは日本の国力が弱まってきたのが一つの原因と考えます。水槽の中の魚のうち一匹が弱ってくると、他の仲間が集団で襲ってきて目ん玉を突っつき始め、終には殺して跡形残らず食べてしまうのが似ている現象です。日本は外交が下手くそでもあり国力が衰退してきている。そして日本の言分・主張は固有の領土一点張り。韓国・中国の主張が何も聞こえて来ないのはマスコミの無責任と勇気なし。もし相手の言分を聞けば譲歩したとみられ、右翼が殴り込みをかけてNHKや民放局を襲撃するやもしれず、経営陣は怖くて何も言えないのだろう。双方が固有の領土を主張すれば戦争でもするしかなくなってしまう。
ある雑誌で中国側の主張を見つけた。中国明時代の1403年、当時の琉球王国との交易で中国名“魚釣島”を発見し琉球人も尖閣列島を中国領土と認めていたことが琉球録という書物に出ていたという。その後も琉球王国との交易上、海上境界は尖閣列島の東側であると双方が認め、ずうっとこの列島を管轄していた。その証拠は文書として、例えば1562年明代に籌海図編という書物に示されていると・・・。それが1879年に日本が琉球を併合すると日本は沖縄県の一部だと主張し始めたが、まだ清国の力が強かったため占領は中止した。その後、日清戦争で勝った日本は尖閣列島で植民地統治を行ってきた。現在もアメリカが中立の立場をとっているのをよいことに、ソ連が北方領土をドサクサに紛れて占領した火事場泥棒と日本が主張するのと同じだと中国は主張しているのだ。これまでの主張も全て実名の書物があり世界の外交上全て認められているとのこと。これに対して日本側の主張は見えてこないし、林子平が江戸時代の1785年に著した三国通覧図説には、色分けで中国大陸と同じ色で塗られていたと中国側は言う。
主張はするが人が住みついていないし発見した方が勝ちとでも言いたい中国だが、これも怪しい。ドサクサにまぎれて富国強兵政策で台湾などが日本に割譲された時は日本の領土だったが、ここでも正しい戦争ではなく正しくない不法の侵略戦争だから返すのは当然と中国は主張している。日本の正しくない侵略戦争との主張は正しいが、こうなるとどっちもどっちと考えるしかなく、国家としては固有の領土とメンツ上主張しかなく、双方このまま突き進めば戦争になってしまう。この単純な声明はもういい。喧嘩両成敗、つまり共同利用という古来の知恵で運用するなどの数々の良い考えが双方に浮かぶまでは議論するしかないのです。これが同じ国のなか例えば島根県と山口県の争いであれば話し合いがつかない場合は裁判となるが、国と国との国際裁判では出廷しなくても負けても強制力がないので限界ですが、つまり武力で強いほうの支配となります。つまり国家というものが人間の平和を害するようになってしまうのです。国家は万能ではなくなったのです。どうもこの島は誰のものでもないようですね。

自然食品で放射能対策 “炭の効力”

私の趣味である山歩き(登山ではない)や松茸と松の育成など自然を相手に、趣味や社会貢献できそうなものを取り上げ、それを広めようとする集まりがあります。ここで放射能への対策を話し合う機会がありました。これによると関東全域は放射能だらけで、特に関東北部の埼玉・栃木・群馬は要注意地域とのこと。我々前期・後期高齢者は余命いくばくも有る・無いは別として子供・孫への注意を払うことは後世への遺産としなければなりません。

 

1.放射能を土から吸い上げる植物
土地が汚染された場合向日葵を植えるとセシウムの95%が吸収され、残りの5%はよもぎを植えると除去しきれいな土壌になる。

 

2.放射能を食べる炭、炭を食べる人間
毎日スプーン1/2ぐらい(1g)の炭を水と共に食べるとアトピー・花粉症に効く。蜂に刺されたとき炭を飲むと同時に炭をハンカチに包んで濡らして患部に当て30分毎に交換する。炭500gで半年分。きのこ中毒・下痢止め・放射能の下剤として有効。
自分で炭がヒ素を除去するかを実験したことがありました。那須高原にある分譲地の水源がヒ素に汚染されたので水源から水を採取し、5合ぐらいのビンに汚染された水と炭を入れ、その日から丸1日・丸2日・丸3日と時間をかけてサンプルを取り準公的機関で調べたところ2日目・3日目にはヒ素は全てとれたのです。次の機会にセシウム入りのりんごなど調べてみたい。
アメリカからの報告では、日本の東北・関東方面はストロンチウム・プロトニウムが飛んでいて近い将来ガン地獄になるという。このあたりは現在、国・東電・科学者のどれもこれも信じられないので自分はいろいろこれから試してみようと思います。

 

3.キクイモ
菊のような花をつけるキクイモは放射能除去効果抜群とのこと。キクイモはもともと糖尿病の薬として知られていました。
実例として、ロシアのウラン鉱山で働く労働者が被爆して全滅に近かったが2人だけ助かった。この2人はキクイモを毎日弁当に入れて食べていた。毎日15g食べると放射能に汚染されないが、通常は5gでいい。
ロシア語でキクイモ又はニガヨモギをチェルノブイリと言うのです。信じない人はロシア語辞典で調べてみては・・・

 

4.松茸
平成に入ってから全国で松茸の減産が始まった。原因は酸性雨で弱った松の木だから松の木と松茸は一身同体です。今まで松喰い虫と断定した国は殺虫剤を空中散布し近隣から迷惑がられていた。その対応として炭をまいて土層改良に成功した例があるので、松の木の根にくず炭を撒きに行きました。松を元気にすると松茸が生えるとのこと。
松が元気になった例は、私も自分で炭を撒いて枯れた松が生き返ったのを経験しているのですが、松茸がどんどん生えてくるのは未だ経験なし。生えたらいいなあ・・と。これから生き返った場所に松茸の菌を撒いてみよう。

 

“キクイモ・炭を食べる” レシピを教えます。        山の会より

震災・津波の現場から

当社の別荘管理地のひとつが宮城県の蔵王にあります。3.11の地震では温泉配管が4ヶ所程ちぎれ漏水したものの軽微な影響でしたが、別荘のオーナー様の中には御自宅が宮城県・福島県の沿岸にあり被害を受けられた方々も大勢いらっしゃいます。
震災後の石巻市・気仙沼市・相馬市を見て、自宅を失った人達から直接話しを伺ったりすると想像を絶する状況でした。

 

① 気仙沼の人の話し
自分は途中まで車で逃げようとしたが、交差点で車が動かなくなりにっちもさっちも行かなくなった。咄嗟に津波警報を思い出し、車を捨てて近くの高台に妻と2人で逃げた。そこに津波が押し寄せたのでした。車も家も生活も全部パーだと思ったという。
顔見知りの人が流されて来る。「何ちゃん!!」と叫んでもどうにもならない。何ちゃんも流されながら自分を見ている。目と目が合っているがどうにもならない・・と。

 

② 数十分前まで新築祝いで酒食をしている最中に津波にやられた家の跡も見た。家の所有者の思いを想像するだけで痛々しい。
1階がガレージとかで空間がある家で海水が通り抜けた家は残ったとのこと。又、津波が押し寄せて家が壊れるよりも、水がゆっくり増水してくると家屋が浮力で基礎から離れて流れ出すのだそうです。

 

③ 当社地内の別荘に2つのお骨を置いている人にも会いました。この人は津波が家に押し寄せた時2階に駆け上がった。手を引いていた母親だけは吊り上げるように引っ張り上げ助かったが父親は流されてしまった。出掛けていた妻も津波に呑まれて死亡した。幸い遺体はすぐに見つかったのでここにお骨があるのだと。

 

④ 仙台市内で不動産業を営む友人の話し
当日、自社ビルで打合せをしていた時、半端な揺れではない地震だと思わず感じた。屋上の水道タンクが落下し少し古い自社ビルもヒビが入り修理代金2,000万円という。それよりも仙台南部荒浜の建売現場、新築住宅数十棟がそっくり流されてしまった。地元のディベロッパーとして最後まで残った会社でいつも強気の70歳になる社長もさすがに落胆の色を隠せない。声にも力がなくなった。「俺の代でおしまいだな。」と小さくつぶやいた。

 

⑤ ラストは松島の手前、七ヶ浜花淵浜に住んでいた古くからの友人のこと。元漁船の機関長。彼の自宅は波打ち際から100mばかりで高台にあり海は見えるし波の音はいつでも聞こえる位置でした。私の予想ではたぶん家はやられているだろうと思い、生存も危ぶまれたので恐ろしくて電話も出来ない。しかし、行かにゃなるまいと訪ねた。
家が無い。家の基礎と庭石しかない。雛壇式になった友人宅の上部に隣接する家は無事で、玄関に入った海水や泥水を家人がかき出していた。高さが明暗を分けたのでした。恐る恐る友人の消息を聞くと、塩釜市内の娘さんの自宅付近のアパートに無事だと聞き訪れたのでした。
当時、大津波など予想もしなかったが近所に住む孫の1人が車で駆けつけ「何をしているんだ。」と大声で叫び、「爺ちゃん、婆ちゃん、早く!早く車に乗れ!!」と急かされ高台に逃げたとのこと。まあ命だけは助かったのでした。

きのことり

数年前にきのこ採りのベテラン村民に山に連れていかれ、このあたりのガサ藪や林の中に入って採れと言われた。ベテラン村民は私にそれだけ言って山の中にさっさと入って行った。遅れては大変と見失わないように懸命につかず離れず1時間程きのこを探したが、自分は全く採れない。連れは時々休んではたばこをふかしていたが手持ちの袋には段々きのこが溜まって行くのです。何で採れないか聞くと、きのこを探すということは「木の株」を探すのだとのこと。地べたに直接生えるきのこはほとんどなく、あっても毒きのこや食べられても美味しくないのだと。なめこやなら茸・天然の舞茸はすべて木に生えるということを教わった。それから崖地であろうが急傾斜地であろうが太い木で枯れた木、伐採された木の根、切り株を探してみた。その日はようやく家族が食べるなめこ汁・なめこおろしに足りるなめこをやと採ることができたがくたくただった。
途中かの村民がどうして何もしないのにきのこ袋がいっぱいになって行くのかが分かった。疲れないようにゆっくりゆっくりと山の斜面を出来るだけ昇り降りしないで平行に歩きながら目だけはギラギラして木の切り株を探すのだ。後で彼から私に忠告があった。
「“よすけっぽ”のような目つきでは採れないぞ。疲れないようにゆっくり歩き、目つきは泥棒のようでなければならない。」と。因みに“よすけっぽ”とは“うすのろ”とか“ぼんくら”のことである。「ハイ。わかりました。」と僕。
これからがきのこ採りの少しイジの悪いところだが、木の株にきのこが一面に生えているのを発見するとその株に腰を下ろしてたばこをつける。休んでいるのかと思ったら右手だけは常に動いているのです。休んでいるふりをしながら木の株からしきりになめこを採っては袋に入れているのです。見たぞぉ!!なるほど、なるほど。後で彼に言われたのは、きのこの生える場所は決まっているので次の年に来ればほとんど採れるわけですから他人には採れた場所を知られないようにするのです。
それから自分も面白くなって1人でもきのこ採りに行くようになりました。木の株に一面花が咲いたように真っ赤になめこが附着しているのを発見した時は嬉しくて思わず「おおぅ!」と声を上げそうになったが、先ずはあたりを見回して誰もいないのを確かめて、それから、もうこっちのものだと思って手で口を押え声を飲み込みゆっくり時間をかけて採ったきのこを袋に入れました。
今年はきのこの当り年で花咲温泉郷の管理人から舞茸(もちろん天然)、なら茸(現地の呼び名はもたせ)、なめこ、あみたけ、たまごたけなどもらいました。最も美味はなら茸。油いため・玉子とじなどいいですね。天然の舞茸は数年かけて生える木を記憶しているのでほぼ毎年とれるようだ。但し、村民の中にはその場所を知っている他の者もいるので、大きくなるころを見計らって採りに行くともう誰かに取られた後で残念ということも多々あるという。例年必ず採れる場所も数か所あるが、崖をよじ登ったりロッククライミングのようなことをしないと行けない場所があるらしい。こういう場所は自分一人いないことが多いのです。
先日も管理人が私のためにきのこを採りに行ったが青い顔をして戻って来た。崖をよじ登ったら大量の舞茸が生えた木の切り株の横で熊が昼寝をしていたという。思わず声を上げそうになったが、グッとこらえて相手に気付かれないようにそっと崖を下りて車に乗り込み逃げるように帰ってきたのでした。
舞茸は生えてくる場所を知らなければ到底採ることは無理だとも教えられた。管理人は私に場所を教えても良いよと言ったが、私が知れば誰にでも教えてしまうから知らなくていいと断った。君舞茸を採る人、私食べるだけの人でいいと。
今夜も舞茸の天ぷらと舞茸スープで晩酌です。もちろん良い香りの天然物。歯ごたえも充分です。

政治・セイジ・性事

自民党の総裁選挙が終わりました。石原伸晃・安倍チャン・石破・町村、何やら顔ぶれは在庫一掃、店じまいセールのようでした。人材不足と言うか一人一人の今迄やってきた実績と能力は推して知るべし。超フライ級発言の石原幹事長。爬虫類のような目つきで説教たれてる石破君。国会質問では民主党にいじわる爺さんのような国民のためにもならないような代表質問をする町村センセ。ともかく阿部チャンに決まったんだが何ともスッキリしない顔ぶれ。
超タカ派の阿部チャン。自民党を野党に突き落とした代表選手。それを臆面にも出さず総理大臣を狙うとは自民党議員さん達は一体全体何を考えているのかしら。小泉首相のお供で北朝鮮に行き強行発言で総理大臣になったが拉致問題は今でも何も解決していない。横田夫妻も「もう何も信じられない。」と言った。原因は君だよ安倍チャン。かと言ってウソつき民主党に期待するのはもうコリゴリですし・・・。
第二自民党になってしまった民主党。次の選挙でボロ負けは確実。ドロ船から海に飛び込む議員も増えるでしょう。どうせ沈むなら早いうちだよ民主党諸君!!

大震災時の疎開地について――片品村村長千明金蔵氏との対談

きのう片品村役場へ評価通知書を取りに行きついでに千明村長がいたので村長室で二人で1年ぶりくらいで話し合いました。前回は中国の洪水を治めた伝説の禹王について中国の友人、車作實君を連れて片品村村長と面談したのでした。今回は村長から片品村がどれだけ災害に強く安全かということを、地図を見せて貰いながら説明を受けた。
それによると、今後30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率は、太平洋側は茨城県南部から四国の室戸岬まで26~100%の確率。特に太平洋の海側に出っ張っている半島部の伊豆・南紀・室戸岬などは確率が75%以上だと村長は言う。
群馬県内で確率が高いのは日本一暑い館林・太田地方。その次は浅間山の裏側の嬬恋村・長野原町が高い。因みに県庁所在地の前橋市はやや高いとなっていた。そして、片品村はほとんど影響ない低さと地図ではそうなっており、片品村は地盤が安定していて水と安全は日本一と自慢していた。
富士山の周囲から飲料水を供給している大都市が多いので、最近不気味な現象の地割れなどが生じている富士山が爆発して水が利用出来なくなると東京などの大都市はパニックになるのは間違いない。そういう時は水と地盤の安全な片品村へどうぞとのこと。「このことをよく説明して、商売の宣伝として使って下さい。」と御教示を受けたのであります。 
また災害を受けた時には、地震の場合は現地で耐えるより疎開が大切であることは福島や宮城で既に実証済です。下水がパンクしトイレも使えない。生活インフラが復旧するまで夏の暑さ・冬の寒さはこたえる。特にオムツ、病人の薬や水・心身に負担大。そこで被災した際などのいざという時の疎開先を下見する旅に出るのも一考ありです。震源地から50Km離れるとインフラは無事、100Km離れると平常な生活が何事もおなかったように続いているのです。

千明金造村長の話が終わったので2期目の村長に、来年の村長選に3期目を狙っているかどうか腹を探るためでもないが、3期目は全国どこでも当選は難しいところが多いので、災害の情報をもらったお返しということではないが、前回の沖縄県知事選挙で2期当選した仲井眞知事の選挙戦略の話をした。
圧倒的不人気・不利の中、相手は沖縄革新のエース池波氏であり下馬評も相手が有利との見方である。そこで仲井間氏は戦術を2つ考えた。ひとつは今までの普天間基地は沖縄県内に移設と、県外移設の主張を変えて争点をぼやかしてしまった。もうひとつは投票日。期日前投票に目を付け大量のシンパ人員を動員し、お年寄りは車で送り迎え、若い人にも同行して総動員をかけて期日前の投票で約4万票の差をつけてしまった。投票日の投票数は双方とも同じぐらいだった。つまり期日前投票は選挙違反についても警察の目は甘いし、個人的には事実として投票依頼は同行して出来るのだろう。見事楽々の勝ち。
私がこの話しをしていると真剣に聞き始めた村長だが、時折数回も聞き直したりする。少し耳が遠くなったようだ。私よりも4~5歳は若いのに・・・。あまりに聞き返すので私は思わず「村長、大丈夫かよ!!」と聞き直すと、村長は、「大丈夫。こういうことは自分にとって何より大切だから頭によく入れておくさ。」と人差し指で自分の頭をつついていた。3選出馬の意志あり。確実とみた。

昨夜も外で食事をしていたら半袖では寒く、今朝も寒くて毛布でも間に合わなかった。薄い布団をもう一枚かけてなでしこジャパンの勝利を聞きつつ再び眠りについた。
                            片品村 標高1000mにて

山のぼり

気がついたら日本百名山の60個ぐらい登っていました。学生時代に多少冬山を含め経験があるので50代の中頃から暇をみつけて高年登山者となりました。
現在日本百名山のほとんどは日帰り登山が可能で、加えてリフトやケーブルなどで頂上近くまで登れる。我々高年・老年登山者には楽で良いが物足りない感じもする。昔の登山意欲がここ数年前から湧き出て来た感じで、ひとつの山を登ると下山時には次の登山候補を頭のなかでめぐらしている。
数えてみたら20代に登っていたのが約40峰。南北日本アルプス・奥秩父・八ヶ岳・白山・後立山・剣岳などは11月下旬単独で雷鳥沢から何も見えない霧の中を山小屋から15時間位かけて登り、50代からは約20峰登る。始めは最北端の利尻と最南端の屋久島の宮之浦岳。
ここで若いころ登っておけば良かったと後悔しているのは百名山の中では南アルプスの光岳。隣の3000m級の聖岳は2度程登ったが、目立たない・低い・登山価値が無いと思っていて登らなかったのは今でも後悔している。同様に東北の山々も。若い頃はやたらとアルプス志向で、ただただ重い荷物を横幅広いキスリングに詰め込み担いでピークーとハンマーする東北の山々は当時の山屋にとってはあまり人気がありませんでした。ですから心残りなので飯豊連峰・朝日連峰・北海道のトムラウシなどに今後登ってみたいと思っているが、体力に自信がないのでふもとや行ける所まで行ってみようかとも考えている。
数年前に尾瀬の燧岳に行ったとき、頂上で他の登山者から「会津駒ヶ岳は上品な山でいいですよ。」と言われた。上品な山があるなら下品な山もあるだろうと思いめぐらし、売店だらけでハイヒールで行ける筑波山や、空缶とうんこだらけで世界遺産にはづれた冨士山、頂上近くまで簡単に行ける乗鞍・岩木山などかとも考えていた。
上品な山、新潟では巻機山、東北では鳥海山などかしら。

福島原発事故 遠くて近きは原発放射能

東京から200kmも離れた福島第1原発事故現場の影響はその大きさにそら恐ろしくなる思いです。
東北大震災と原発事故の3日後の昨年の3月14日、群馬大学教育学部教授(火山学)の早川さんが大量の放射能が漏れ出したため計測。汚染の流れを地図に記したものを4月8日にインターネットで配信しました。大変な作業であったことが予想されます。放射能は地表をなめるように風に乗って移動しました。その頃私は宮城県川崎町の事務所に、社員のためガソリンや食料を届けに群馬から車で2往復ほどしていました。
このとき放射能は、原発から南方向へは3月15日4時にいわき市から茨城県へ、分かれて一方は宇都宮市に10時半に到達、別の流れは西に行って郡山市へ午後2時に達しました。
茨城県で分かれたもう一方は日立・水戸・つくば市など茨城県を総なめにして松戸・三郷へ、夜9時に東京新宿に到達した。また、宇都宮からは日光方面へも流れた。さらに群馬県太田市・本庄・高崎・軽井沢から東へカーブして吾妻郡・沼田市までに及んだ。
風向き・雨の強さによって放射能の濃度は濃淡があり日時も風まかせの状況だったのですが、ともかく福島県にとっては悪魔の風となった。

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早川さんが言うには原発爆発時間と汚染経路は合致しない。大量の放射能が流れたのは爆発時間ではなくしばらく時間を置いて音もなく静かに漏れ出したとある。ちなみに爆発時間は1号機が3月12日15時36分、臨界などと彼らは言うが本当は爆発です。3号機は3月14日11時1分に爆発した。私はこの時1号機の爆発をテレビで見ていました。建屋が吹き飛んだのを目の当たりにしたとき、テレビ解説していた原子力関係者やどこかの教授はなんと言ったか。大ウソをついたことになる。「これは水蒸気爆発で周りを覆っていた建物が吹き飛んだだけで原発の臨界ではない。炉心溶融の原子力発表??の臨界ではない。」と。私は少し安心していました。今考えるとこの時既に爆発していたのです。小出・嘘・隠ぺい。専門家・政府・マスコミ揃って国民をだましたのでした。
私はこのとき福島県の国道4号線を車で2往復していました。今考えても背筋がぞっとしてくるのです。4号機も爆発の恐れがあったのですから。
今年になってから判明した群馬県内の汚染も酷いものでした。赤城の大沼や榛名湖の冬の名物公魚つりが出来ない程汚染されてしまったり一匹もいなくなってしまったのでした。3月1日が解禁日ですから漁業関係者はその前日までてんやわんやの大騒ぎ。解禁するかしないかで大もめ。条件付きでようやく解禁にこぎつけましたが、釣るのはいいが持ち帰りはなし、食べることも不可。この看板を立てるのも大変だしシーズン券の買戻しまでのおまけつき。踏んだり蹴ったりでした。又、農作物も大打撃を受けました。こんにゃく・しいたけ・米・りんご・薪・しいたけのほだ木と影響は甚大。作っても出荷停止ですから。東京電力へ損害を持ち込みたいが証拠集めと煩雑な申請書。そして微々たる損害金。やる気もしないと・・・。
ある村の村長は村民にこう伝えた。「騒ぐな、じっと我慢しろ、時が経てば治まる。騒げば騒ぐほどマスコミに取り上げられ、あの村は放射能がこんなに多いのだと宣伝するようなものだ。観光客も来なくなるし村から人が出て行ってしまうし村が全滅してしまう。だから沈黙しかないのだ。」と。
どこにも持って行けない不満が爆発しなければいいが。東京電力の経営者はカエルのツラにションベンで、テレビで見ても全く反省なし。その上17%の電気料金の値上げだと!
社長を始め経営者は頭を剃って切腹ものなのに。韓国や中国だったらすぐ社長副社長は死刑そして公開銃殺か??か懲役です。
放射能の影響は長い年月もうちに必ず人体悪い現象が現れるのはチェルノブイリで証明されています。奇形児・小児ガンの増加・大人のガン・甲状腺の病気も既に現れています。福島ではこうなったら子供だけでも内部被爆・外部被爆を防がなければならない。日本人はおとなしいし無知だ。抵抗しなければなりません。
ロマンロランが言う。『立て民衆、おまえは自分の力を知らないのだ。たとえ戦いはしなくとも、もしおまえが否と言えば暴君は倒れるのだ。』暴君を原発に変えるだけでいい。今まで原発を許した自分自身にも、後世のためにも。

遠くて近きは福島原発放射能
     遠くて近きは年寄りの小便
 
我々先の短い年寄りは近くなった小便ぐらいで済むが、後世のため子供たちは何とかしないと死んでも死にきれなくなるかもしれません。

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